海田町浜角(はまかど)は広島県安芸郡に属する町です。
この「浜角」を散歩しながら探索してみました。
地図はコチラ(東西南北は画面の左右下上に準じます。)
海田町浜角の概要
海田町浜角は、東広島バイパスの海田東インター付近にある町で中心を東広島バイパスが通り、北西には「海田町立海田東小学校」、南東はほぼ山となっています。
主要道は東広島バイパス(国道2号線)と広島県道276号矢野海田線、そして「はなみずき通り」で、最寄りのバス停は「町民センター前」です。
住居エリアは町の面積に対して半分以下で、戸建て住宅が中心となります。町内の公園は「浜角ちびっこ公園」です。
住吉神社・中野坊観音堂
ブランク
串山城跡(寺迫一丁目・浜角・中世)
この城は丘陵の尾根先端部に中世につくられた山城です。古文書にその城主を串山肥後守と伝えるのみで、詳しいことはわかっていませんが、おそらく阿曽沼氏の支配下にあったものと推測されます。本丸跡や溜井戸、堀切の跡が現存しています。
※室町 1336 建武三 南北朝の対立が始まる(日浦山城・串山城築城される)
海田地下工場跡
第十一海軍航空廠兵器部海田工場。※当時の痕跡はあるのか?
海田町浜角の今昔
「今昔マップ on the web」より(明治時代と現在の比較)
串山城跡がある山の周辺に民家が点在しているのを除いて、すべては田畑だったようです。
「今昔マップ on the web」より(昭和20年後半と現代と比較)
終戦後の浜角は明治時代から大きな変化はないように見えますが、戦時中に山の中へ地下壕が造られています。
出典:国土地理院撮影の空中写真(1947/07/03(昭22) 撮影)
浜角の中心地と思われる串山城跡があった山の周辺です。その周囲は田畑となっています。
出典:国土地理院撮影の空中写真(1947/07/03(昭22) 撮影)
こちらは浜角の南側、右側は空廠工場跡で左側の麓の辺りが浜角エリアとなります。
戦時中は空廠工場に関連する地下壕が造られていました。昭和70年代前半まで地下壕に入ることができた話がありましたが、現在は閉鎖されています。
出典:国土地理院撮影の空中写真(1947/07/03(昭22) 撮影)を一部加筆しました。
ちなみに現在、海田町立海田東小学校の前身にあたる「奥海田村立奥海田小学校」は町道を超えて寺迫側にあったようです。
海田町浜角を歩く(昭和22年の道だけを選んで)
終戦から二年後、昭和22年の道だけを選んで歩く地図を作りました。
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