今日は広島県安芸郡海田町畝にある「海田町ふるさと館」に立ち寄らせていただきました。
海田町ふるさと館は郷土史を学べるところで、館内を見学しました。
海田町ふるさと館で学ぶ「郷土史」
正面玄関から入るとすぐに「郷土史」コーナーがあり、順路にそって古代~近代~現代と海田の歴史を学べるようになっています。
興味深かったのは「かいた」が誕生した頃の話です。
この地がいつから「かいた」と呼ばれたかと平安時代の終わり頃なんだそうです。
そのころは「開田」という漢字が使われていましたが、「海田」が使われ始めたのは室町時代なんだそうです。
海岸線も蟹原辺りまで海だったりと、図解で展示されているので興味深かったです。
畝観音免古墳を見学する(第一号・二号)
畝観音免古墳は海田町ふるさと館の奥(山側)にあります。
畝観音免古墳の第一号
まず畝観音免古墳の第一号ですが、説明版を読んだのみで、どれが第一号の古墳なのか判別できませんでした。
説明版の内容はこちら。
海田町指定史跡
畝観音免第1号古墳
所在地 広島県安芸郡海田町畝2丁目8735
昭和53年7月12日 指定この古墳は、横穴式石室をもつ円墳で羨道部や天井石の大部分は破壊されていますが石室内部は比較的よく残っています。
石室の規模は、玄室が長さ5.8m、幅1.87~2.1m、高さ2.1m~2.3m、羨道部(せんどうぶ)現存の長さが2.3m、幅1.7mあり、その形態は羨道の狭くなる両袖式です。石室の床面は、花崗岩風化土のマサ土を基盤としていますが、玄室奥側には、敷石がみられます。
遺物は、玄室中央部の両側壁沿いから須恵器(すえき)と土師器(はじき)、奥寄りの敷石の間からは木棺の存在を推定させる鉄釘(てつくぎ)類が出土しました。
出土した須恵器のうち坏類(つきるい)は、10cm弱の小型のものであり、葬送に際しての仮器として製作されたものと推定され、これらのことから七世紀前半から中葉にかけて築造された有力豪族の墓と思われます。昭和62年12月
海田町教育委員
(令和5年3月作成)
改めてウィキペディアを見ると畝観音免第一号古墳の場所がわかったので、いつか再訪してみます。
畝観音免第ニ号古墳
畝観音免第ニ号古墳は畝観音免公園の山際にありました。
こちらは古墳のそばに説明版があり見つけやすかったです。
海田町指定史跡
畝觀音免第2号古墳所在地 広島県安芸郡海田町東海田字観音免甲165
昭和53年7月12日指定この古墳は、わずかに石室奥壁部が残るのみですが、
北側の斜面にはくぼんだところがあることや、
天井石の上に封土がみられることから、
本来は傾斜面に築造された横穴式石室の円墳と推定されます。石室の規模は、長さ2.3m、幅2.0m、高さ2.3mあり、
第一号古墳の石室とほぼ同じ規模であったと推定されますが、
側壁は持ち送りとなっています。床面には、全体に敷石があり、埋葬にあたって床面が整えら
れており、中央部には幅30cm、深さ10cmの排水溝
と考えられる施設も設けられています。遺物には、東よりの敷石上や敷石の間から出土した須恵器片、
鉄鏃、鉄釘類があり、第一号古墳と同時期の七世紀前半から
中葉にかけて築造されたものと推定され、
完全な形で残っていれば規模・構造等から推察して
広島湾沿岸部では第一級の横穴式古墳であったと思われます。昭和62年12月
海田町教育委員会
これは「横穴式」の石室なんだそうです。
ここ以外(畝以外)の古墳
海田町ふるさと館の周辺以外の古墳についても説明がありました。
上安井古墳といって東広島バイパスの工事の時に発見されたそうです。
上安井古墳(竪穴式石室)復元
旧所在地 広島県安芸郡海田町大字東海田字上安井上安井古墳は、一般国道二号(東広島バイパス) 改築事業に伴い、平成十一年に新たに発見された古墳で、ここから東南に見える洞所山から北西にのびる尾根を利用して、標高八十メートルの地点に築かれていました。
当時はこの付近まで海が入りこんでおり、集落や田、海を間近にひかえた立地であったと思われます。
平成十二年に行われた発掘調査の結果、この古墳は十三・五メートル×十五メートルの円墳で、墳丘頂部の中央に中心となる竪穴式石室が一基、その西側に土壙墓が一基、墳丘の北西斜面に土壙墓が二基、計四基の埋葬施設が確認されました。竪穴式石室からは、土師器二点(壺・甕) 鉄器七点(鉄鏃・鉄剣・鉄斧・絶・鋤先・鎌)、玉類二点(管玉・ガラス小玉)が出土し、その様式から古墳時代前期前半に造られた古墳であることがわかりました。木棺におさめられ、多くの副葬品とともに葬られたこの人物は、この地域の有力者であったと考えられます。
広島県内では竪穴式石室に土器を副葬した前例はなく、前期古墳時代の発掘調査例も少ないことから上安井古墳は当時の社会や墓制を解き明かす上で貴重な存在であり、海田町の重要な遺跡としてここに移築復元しました。
海田観音免のクスノキ
海田町ふるさと館より山側にある観音免公園のそばに、とても大きなクスノキがあります。
数百年前からこの地に根を生やしており、かつてはクスノキの葉を利用して防虫剤を作っていたそうです。
広島県天然記念物:海田観音免のスノキ
所在地 広島県安芸郡海田町東海田字観音免877番地
昭和50年4月8日指定樹高 約30m
根回り周囲 5.90m
目通り幹囲(分岐直下) 6.60m
枝張り:北東19.5m 南西100m、北西17.0m 南東14.5m私は、クスノキという一年中緑の葉をもった木で以前は樟脳(防虫 剤)を作るのによく利用されていました。
数百年前にこの地に根をはやして以来、永年の風雪に耐えみなさん方の祖先とともに生きてまいりました。
この間、私は村人たちの憩の場として、あるいは小鳥たちのすみかとして親しまれてきました。現在、主幹は地上1.60mの所で東西の二大支幹に分かれる 巨樹で、遠くからみると森のように見えます。高齢ではありますが、今お元気で成長し続けています。
昭和61年8月1日
広島県教育委員会 海田町教育委員会
クスノキの近くに古風な建物とお地蔵さんがいました。
日浦山登山口
海田町ふるさと館から左側を歩いていくと日浦山登山口の看板があります。
この登山ルートはDルートとなっています。
防空監視哨(戦争遺構)
全く知らない人が見たら、なんの構造物なんだろうと思いますよね。
ネットで調べると戦時中に造られた「防空監視哨」とのことでした。
防空監視哨とは、敵機の飛来を探知・発見して、高射砲の部隊などに報告するのを任務としていたそうです。※ウィキペディア参照。
防空監視哨の高さは約170cmほどで、ずっとこの場所にあったのかは不明です。
思ったより背が小さかった。
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