今日は広島県安芸郡海田町畝にある「春日神社」に行ってみました。
春日神社は平成30年西日本豪雨で被災した神社で、社殿を除き甚大な被害をうけました。
春日神社の境内に入ると巨大な砂防ダムが目に入りました。記事の扉写真はそれです。
春日神社は過去(大正時代)にも豪雨災害に
正面鳥居前(左側)は工事していました。
鳥居と参道です。ここも土砂が下ったそうです。
修復された春日神社の境内、手水舎などは全壊しましたが
社殿は被災を免れました。
実は大正時代にも土石流災害に被災しており、山からの土石流を避けるために現在の位置に再建されたのです。
西日本豪雨での被災と復興については次の記事をご覧ください。
「のど元過ぎたら災害の怖さ忘れる」アニキと慕われた復興ボランティアの遺志を継ぐ…西日本豪雨災害を教訓に【広島発】|FNNプライムオンライン
春日神社の御祭神や由緒
説明版より。
広島県安芸郡奥海田村字日浦山
村社 春日神社御祭神
天津児屋根命
布津主命
建御雷男之命
姫大面神由緒
創建は、古く鎌倉時代の初め、当時の日浦山城主の小坂治郎之丞が、城の鎮護として、
貞応2年(西暦1223年)に、大和国(奈良県)春日大社より、現在の地に勧請したことに、始まると伝えられている。
後に、永禄元年(西暦1558年)毛利氏の武将で鳥籠城主の阿曽沼元卿が、社殿を修築し、さらに天正11年(西暦1583年)には、社領として山林十一町●社領米四十九石五斗を寄進している。
なお、参道の鳥居、燈籠、唐獅子等には享保五年(西暦1720年) 、寛保三年 (西暦1743年)、文政六年(西暦1823年)、嘉永元年(西暦1848年)等の年号が刻まれている。
現在の社殿は、大正12年7月の豪雨 土石流によって自社段が倒壊流失した後
氏子、宗教者の尽力で再建されたものである。
鎌倉時代の日浦山城主「小坂治郎之丞」が春日大社を勧請したとありましたが、この「小坂治郎之丞」はマイナー武将なのかネットで検索しても情報を得ることはできませんでした。
春日神社から望む風景
参道から眼下の街並みを眺める。
こちらは境内から。サコダ車両の看板が見えました。
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