海田町窪町は広島県安芸郡に属する町です。
この「窪町」を散歩しながら探索してみました。
地図はコチラ(東西南北は画面の左右下上に準じます。)
海田町窪町の概要
海田町窪町はJR海田市駅南口に面した「海田の玄関口」とも言える町です。
窪町の南側には瀬野川(二級水系)が流れており、上流から「九十九橋・ひまわり大橋・明神橋・海田新橋」の橋が架かっています。
窪町の主要道は海田のメイン道路といえる国道2号線バイパスと広島県道164号広島海田線、あと短いですが広島県道197号海田市停車場線もあります。
JR海田市駅南口にはバスの発着場「海田市駅南口」と、広島県道164号広島海田線沿いにも「海田市駅入口」というバス停があります。
JR海田市駅南口の北東にはココカラファイン薬局とハローズ海田市駅前店という大きなスーパーがあり、西側にはローソン・大衆食堂・JAひろしま海田市支店などがあり、駅に近いだけあって便利です。
広島県道164号広島海田線沿いにも飲食街が続いており、最も西側の海田川近くには居酒屋などもあります。
戸建て住宅はJR海田市駅南口と広島県道164号広島海田線の間にあるのみで、あとはマンション・賃貸アパートや商店・会社が占めています。
代表的なマンションとして瀬野川沿いにある「ダイアパレス海田」と最近建設された「ザ・ステーションタワー海田」があります。
窪町の公園は海田市駅に近い「窪町公園」と海田川沿いにある「港町公園」があります。
九十九橋(つくもはし)
終戦直前に空襲を受けた旧光海軍工廠(山口県光市)の廃材を使って造られた橋です。
ひまわり大橋
1993年に完成した歩行者・自転車の専用橋です。上空から見ると橋の中央がくびれています。橋の上にはモニュメントがあります。
JR海田市駅
山陽本線と呉線の2路線が乗り入れています。
開業は1894年(明治27年)、山陽鉄道 糸崎駅~広島駅間の開通のとき始まりました。呉線は1903年(明治36年)に当駅~呉駅間が開通。
戦時中は広島から軍港であった呉に物資を運ぶ列車の重要な中継点でした。広島市への原子爆弾投下後、大勢の被爆者たちが海田市駅に避難しました。また当時海田市駅より西が不通となったため、広島から東方面への移動拠点として機能しました。
今昔の風景(1945-1950)
JR海田市駅南口と広島県道164号広島海田線の間にある戸建て住宅は、建物の移り変わりはあれど現在も変わらずこの地にあったようです。
また海田市駅から延びる「軍用引き込み線」を見ることができます。現在は線路は消滅しましたが線路の道筋は残っており、ひわまり大橋は当時は線路の鉄橋でした。
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