海田町寺迫(てらさこ)は広島県安芸郡に属する町です。
この「寺迫」を散歩しながら探索してみました。
地図はコチラ(東西南北は画面の左右下上に準じます。)
海田町寺迫の概要
海田町寺迫は蟹原(北西)と三迫・稲葉(東南)の間にある町で、町の中心を東広島バイパス(国道2号線)が走っています。また山麓から流れてくる三迫川と唐谷川が合流する地点でもあります。
海田町寺迫の主要道は東広島バイパス(国道2号線)と広島県道276号矢野海田線、三迫方面と稲葉・海田町東方面どれぞれ向かう町道は寺迫が起点(寺迫北橋交差点)となっています。
路線バス情報として三迫方面は「海田東小学校前」、稲葉・海田町東方面は「町民センター前・海田東公民館前・寺迫会館前」が利用できます。
海田町寺迫の戸建て住宅分布ですが、1丁目は賃貸アパートや商店・公共施設等が混在していますが、2丁目は戸建て住宅が多い印象で山麓の付近では田畑(耕作放棄地?)が一部あります。
寺迫で目立っているマンションとして「ヴェルディ海田伍番館・ヴェルディ海田マスターズガーデン」があります。
海田町寺迫には「肉のウエダ」でお馴染み植田商店の本社があります。明治10年創業の老舗で本店は稲荷町にあります。
串山城跡
時代:中世、地区:寺迫一丁目・浜角
この城は丘陵の尾根先端部に中世につくられた山城です。古文書にその城主を串山肥後守と伝えるのみで、詳しいことはわかっていませんが、おそらく阿曽沼氏の支配下にあったものと推測されます。本丸跡や溜井戸、堀切の跡が現存しています。
出崎森神社
火ともしまつり(出崎森神社)
奈良時代の霊亀元年(715)に出崎森神社が筑前の宗像神社から勧請された際、村人がたいまつをともして船を出迎え、導いたことから始まったと伝えられています。
旧暦8月14日の神事ですが、現在では秋祭りの前夜祭と併せて10月中旬に行われています。
丁(ひのと)未(ひつじ)水害の碑、長谷寺の境内にあり
土石流に襲われた三迫川沿いの長谷寺にあり、奥海田村(現、海田町の東部分)の被害状況として、死者 67 名、流失及び半壊家屋 140 戸、浸水家屋 120 戸、山地崩壊 182 箇所などが刻まれています。
海田町寺迫の今昔(1961~)
昭和30年代・・・寺迫1丁目は川を中心に民家が点在していますが、2丁目はほぼ棚田のようです。
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